2017.02.14

本山秀毅先生から合唱団のFacebookにコメントいただきました

 

今回の機会を通して多くの方々と新たな伝統を築いていければと願っています。バッハの名曲をただ歌うだけではなく、理解して心の糧となるように取り組みたいと思います。ともに歌いましょう。

本山秀毅

(以下の文は私が初めて中央合唱団を指揮させていただいた折に書いたものです)

伝統を引き継ぐ

神戸中央合唱団音楽会は滞りなく終了した。この演奏会に対する私の思いは以前に書かせていただいたので繰り返しはしない。合唱団の愛唱歌である「サリマライズ」によって演奏会は始まり、アンコールにもこの小曲が歌われた。

「ふるさと離れ去り行ける懐かしい友よ。今、再び帰り来たる我らのもとへ。ああ懐かしきかな、いざ歌わん。うるわし花は野に山に満ち、小鳥も歌う。小川のせせらぎも楽しげに、我らと歌う」

素朴な最初の一声が発せられた時、私は大変な仕事をお引き受けした、という重圧をひしひしと感じたことを告白しておく。700席を数えるホールはほぼ満席の聴衆で埋めつくされていた。その大部分がこの合唱団がどのような歴史を持った合唱団かを知っていて、過去の演奏の記憶も携えて客席に来ている。勿論指揮者が変わったことも、新しい指揮者の下でどのような音楽が奏でられるかを固唾を飲んで見守っていたのである。

一年前のちょうど今頃、団長とお会いして今日の演奏会の指揮を懇願された。詳しくは記すことは出来ないが、難しい状況を抱えておられることは拝察された。私はもとよりタイトなスケジュールを抱えていたので即答は出来なかったが、彼らの「熱意」に絆されたという結果になった。この歳になると「心意気」や「強い気持ち」を前面に出されたとしても、様々事情によってそれに応えられるとは限らない。頼む立場でも頼まれる立場でも、むしろ気持ちの上滑りばかりが目につくようになって、本当に相手の気持ちを理解しているのか、またそれを受け止めようとしているのか、その辺りのことが実に「淡白」になって来ている。おそらく私だけではあるまい。おしなべて世の中の人間関係が、破綻を恐れて無難でかつ皮相的なものになり始めているのだ。

しかし、今回のオファーは私にとって、極めて真摯に向き合わねばならない部類のものであった。一旦引き受けることになれば、自分の能力を尽くして向き合わねばならない予感がしていた。そして今回は、私が彼らの「心意気」に応えることになり、この合唱団に関わることになったのである。

今でも、最初に練習に伺った時のことをはっきりと思い出すことが出来る。少し遅れて練習場に到着した私に、先にあげた「サリマライズ」を皆さんで合唱して迎えて下さったのであった。はにかみながら、また微かな期待を漂わせながら歌っていただいたが、その合唱は心細いものであった。

「今、再び帰り来たる、我らのもとへ」

私が「再び帰り来た」ことになるのかどうかは分からないが、とにかく彼らとの練習が始まった。以来10回を数える練習を経て、今日の日を迎えることになった。

私なりに最善を尽くさせていただいたと思っている。「伝統を引き継ぐ」といった使命感のようなものもどこかにあったのかもしれない。メンバーの皆さんは力を尽くしてついてきてくださった。平日の午後6時にもそれなりの顔触れが出揃っていた。

もちろん未だ途上である。しかし今日のステージには、期待を超えた力強い歌声がホールを満たした。今日の「サリマライズ」は、出迎えの時の不安な色はすっかり影を潜め、確信と希望の響きを伴っていた。初めての和声で戸惑われることも多かった木下作品においても、確固としたメッセージを発信されていた。メンデルスゾーン「聖パウロ」では、往年の神戸中央を彷彿させる響きを取り戻すための方向性は定まったと言えるかもしれない。

この仕事は私にとって一つの「試金石」のような気がしている。一期一会のようなレッスンで音楽を変えることには、確かに長けて来たのかもしれない。しかし一つのグループの責任をそれなりの期間にわたって持つということは、私という「全人格」を示し続けることに他ならない。小手先の技術や方法論だけでは対処仕切れない問題や、創設者がそうであったように精神的な繋がりも求められることになるだろう。それらを含み込んだ形で、成長に繋げられるかどうかを問われている。

ホールからは神戸の港の景色が垣間見えたが、本当に大変な船出の日になったものである。

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